※がっつりネタバレします。
〈備考〉ブログ主=CLAMPオタク。実写映画は割と楽しめるタイプ。原作ホリックは少なくとも5周はしていて、四月一日と侑子さんのキャスト解禁の時点では結構楽しみな映画でした。追加キャスト毎日解禁あたりから怪しくなり始め、オリキャラでカジュアルに絶望、予告解禁で「ホリックってそんな話でした?」となり、入プレに人質を取られ、震えながら映画館に行きました。ちなみにこれまでの蜷川実花監督作品はわりと好きなほうです。
CLAMP先生ご本人たちが、原作とは別物としてちゃんと楽しまれているなかでただのオタクがギャーギャー騒ぐのもどうかとは思うんですけど、まあ気が済まないので書いておきます。
基本的に文句しか言ってないです。汚い言葉は使わないように気をつけます。
ちなみに観終わったときには絶望疲れを起こしていたのでパンフレット買ってないです。買ったほうが良いよって意見があれば買いに行きます。
*ネタバレSTART!
もうなによりも女郎蜘蛛(吉岡里帆)が四月一日(神木隆之介)にちょっかいをかける動機がただの嗜好だったのが解釈が合わなくてしんどかったです。原作の彼女は、蜘蛛を統べるものとしての道理に沿って行動しているので、あの描かれ方はかなりつらいものがありました。
四月一日は自殺とかしないもん!!!!!にもなった。自己犠牲のひとではあるけど死にたいとは思わないんですよね。アヤカシが視えなくなればいい、とは思うけど、アヤカシが視えて/追い回されてしんどいから死のう、には至らない。
あと四月一日と百目鬼(松村北斗)がイチャイチャしすぎている。きみたちはクソ王道ケンカップルなんだからケンカしててくれ。ひまわりちゃん(玉城ティナ)のために作っていったお弁当を横から百目鬼につままれたら怒ってくれ四月一日。たのむ…たのむよ……。
まあ、四月一日が侑子さん(柴咲コウ)に出会ってから女郎蜘蛛と対峙するまでを描くのに2時間はシンプルに無謀。監督が女郎蜘蛛というキャラクターが好きだったんでしょうけど……。いやわかるけど、じゃあなんで最終的に退治(?)してしまったんですかね。原作ちゃんと最後まで読んでます?
役者陣の演技はとてもよかったです。ひまわりちゃんと四月一日がかなり暗めにキャラクター設定されていたものの、よかったです。
美咲(趣里)のエピソードも派手にしすぎ感は否めないけど、流石の演技でしたね…。私が趣里ちゃんを初めて認識したのがドメンヘラ役だったのでなんだか懐かしかったです。
個人的には百目鬼が不安だったんですけどわりとよかった。中井和哉さん(アニメCV)に引っ張られすぎな気もしたけど。喉つらくないかそれ。
吉岡里帆ちゃんとてもセクシーでした。ふと『カルテット』のアリスちゃん思い出した。
「この世に偶然なんかない、あるのは必然だけ」というのがホリックという物語が始まるきっかけであり根幹であると認識していますが、実写映画はそのきっかけとしての偶然感が皆無で、そこもうーんって感じです。
原作ホリックは、アヤカシに追われまくった四月一日が「偶然」手を触れた壁が侑子さんのミセに通じるわけですが、実写映画の「蝶に導かれる四月一日」って、四月一日の前に蝶が現れたことはまあ百歩譲って偶然と言えるにしろ、そのおそらくこの世のものではない蝶を追いかけるという選択を四月一日がすることにかなりの違和感がありました。さっきまでこの世のものではないアヤカシに追い回されて疲れ果てて死のうとしてたのに、それらと似たような謎の蝶、追いかけるか?まあ死の淵に立った人間の心理に正当性を求めるのも間違っているのか……?
侑子さんが四月一日の前から姿を消すときの、侑子さんの身体が蝶になっていく描写がめちゃくちゃ綺麗でした。あのお着物も再現されていて(髪飾りなんで着けた?とは思いました)。
着物で思い出したんですけど、あの女郎蜘蛛がループさせられる能力もってる設定なんなんですかね!!? 『ツバサ』の飛王がサクラと小狼に使ったあの砂時計みたいな道具でももってたってことにしようとは思うんだけど、それだと女郎蜘蛛を退治したことでループが解消されるのが分からんな……。だって時を操る魔法/術って、かなりの「対価」が必要だよ……?
あと原作ホリックにおいてとても大事な「侑子さんは同じ服を着ない」という設定がループ能力によって霧散させられていて悲しかったです。
四月一日がミセを継ぐことにしたときの神木くんのビジュアルが最高だったのでまた神木くんas四月一日君尋が観たいきもちはあるけど、同じスタッフだったら流石にしんどいかな…と思いました。
とりあえず以上。すみませんでした。